記憶に空白期間がみられますが、その長さは数分から数十年にも及ぶ場合があります。
検査を行ってほかに考えられる原因を否定した後、症状に基づいて診断を確定します。
記憶想起法では、催眠と薬を用いた面接を行って、記憶の空白期間を埋める助けをします。
この病気の引き金となった体験に患者が対処できるよう手助けするために、精神療法が必要になります。
(解離症の概要 解離症の概要 誰にでも、ときに記憶、知覚、自己同一性、意識を統合するのに小さな問題が生じることがあります。例えば、どこかをドライブしたとき、後になって運転していたときの様子を覚えていないのに気づくことがあります。それは、個人的な心配事にとらわれていたか、ラジオ番組や同乗者との会話に夢中になっていたか、ちょっと空想にふけっていたために思い出せないだけかも... さらに読む と 記憶障害 記憶障害 記憶障害は、脳の機能不全の症状である可能性があります。これは人が医療機関を受診する理由の中で最も多いものの1つで、特に高齢者に多い訴えです。ときに、家族が患者の記憶障害に気づいて報告することもあります。 患者、家族、医師が最も心配することは、患者の記憶障害が進行性で治療不可能な認知症である アルツハイマー病の初期の徴候ではないかということです。認知症の患者は、明晰な思考ができなくなります。自身の記憶障害を心配できるほどの自覚がある人は、... さらに読む も参照のこと。)
最近または昔の体験をまったく覚えていなかったり、部分的に思い出せなかったりすることを健忘といいます。健忘の原因が身体的な病気ではなく、精神的な病気である場合には、解離性健忘と呼ばれます。
解離性健忘では通常、以下に挙げるような正常時には意識的に自覚している日常の情報や、自分自身の過去についての記憶が失われます。
自分が誰なのか
どこへ行ったか
誰と話をしたか
何をし、何を言い、何を考え、何を感じたか
往々にして失われた記憶は、小児期の虐待のように、トラウマになったり強いストレスを感じたりした出来事に関する情報です。ときに、忘れてしまっていても、その事実がその人の行動に影響を及ぼし続けている場合があります。例えば、エレベーターの中でレイプされた女性が暴行の詳細を思い出せなくても、エレベーターを避け、エレベーターに乗ろうとしない場合などです。
解離性健忘症は男性よりも女性に多く、通常は身体的虐待、性的虐待、レイプ、戦争、大量虐殺、事故、自然災害、愛する人の死などの外傷的出来事を経験または目撃した人に発生します。また、深刻な経済的トラブルや大変な内的葛藤(特定の衝動や行為に関する罪悪感、解決不可能に思われる対人関係の問題、犯した犯罪など)に関する懸念から生じたものである場合もあります。
外傷的出来事の後に、しばらく解離性健忘が続く可能性があります。ときには、治療しなくても自然に記憶を取り戻したように見える場合もありますが、
他者の話やその他の証拠によって確認されない限り、戻った記憶がどれだけ実際の出来事を詳細かつ正確に反映しているかは明らかでない場合があります。
解離性健忘の症状
解離性健忘の最もよくみられる症状は、記憶障害です。
記憶障害は以下のいずれかに関係しています。
幼少期に数カ月ないし数年にわたり虐待を受けていた経験や激しい戦闘に参加していた日々など、特定の出来事または特定の期間(限局性健忘)
ある出来事の特定の側面のみ、または一定期間中の特定の出来事のみ(選択性健忘)
個人的な自己同一性や過去の経験すべて、ときに習得した技能や世界に関する情報を含む(全般性健忘)
特定の人物や家族に関するすべての情報など、特定のカテゴリーの情報(系統的健忘)
発症後に起きた新たな出来事すべて(持続性健忘)
全般性健忘はまれです。これは戦闘を体験した退役軍人、性的暴行の被害者、極度のストレスや葛藤を経験している人で比較的多くみられます。通常は突然発症します。
外傷的体験やストレスになる出来事の直後には健忘が現れないこともあります。数時間ないし数日間、さらに長い期間がかかることもあります。
記憶障害が生じた直後は、混乱しているように見える人もいます。大きな苦痛を感じる人もいます。奇妙なほど無関心になる人もいます。
解離性健忘の人の多くでは、記憶に1つまたは複数の空白期間がみられます。空白期間の長さは、通常は数分から数時間または数日間までですが、数年、数十年、さらには過去の人生すべてを忘れることもあります。大半の患者は、自分の記憶に空白期間があることに気づいていないか、部分的にしか気づいていません。その場合は、記憶がよみがえったり、覚えがないのに自分がしたことの証拠を示されたりして、後になってようやく失われた時間(空白期間)に気づきます。
患者では人間関係を構築または維持することに困難が生じます。
心的外傷後ストレス障害 心的外傷後ストレス障害 (PTSD) 心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは、トラウマになる圧倒的な出来事(外傷的出来事)を経験した後に始まる、日常生活に支障をきたす強く不快な反応です。 命が脅かされる出来事や重篤なけがによって、激しい精神的な苦痛が長期間続くことがあります。 その出来事を繰り返し再体験し、悪夢を見たり、それを思い出させるものをすべて避けたりします。 治療法としては、精神療法(支持療法や曝露療法など)や抗うつ薬などがあります。... さらに読む (PTSD)でみられるようなフラッシュバックを経験する人もいます。つまり、問題の出来事を実際に起こっているかのように再体験する一方、その後の経緯(例えば、トラウマ体験を生き延びたこと)は認識していません。フラッシュバックは、その発生中に起きたことについての健忘と入れ替わるように発生することがあります。解離性健忘患者の中には、後にPTSDを発症する人もおり、特に健忘の引き金となった外傷的出来事やストレスになる出来事を認識した際にそうなることが多くあります。
また疲労、脱力感、睡眠障害などの漠然とした症状がみられることもあります。うつ病や自殺行動などの自己破壊的行動(物質乱用 物質関連障害の概要 薬剤やその他の物質は、それが合法な医療上の用途で使用されるものか、習慣的に使用されるものか(例えば、カフェイン)、娯楽目的で使用されるものか(レクリエーショナルドラッグ)にかかわらず、多くの人々にとって日々の生活に不可欠なものとなっています(表「 医療上の用途と娯楽的な用途が両方ある薬物」を参照)。... さらに読む や無謀な性行動など)がよくみられます。 自殺行動 自殺行動 自殺とは、死に至るように計画した、自身に害をなす、意図的な行為によって命を経つことです。自殺行動には、自殺既遂、自殺企図(自殺未遂のこと)、および希死念慮が含まれます。 自殺は多くの要因の相互作用の結果として生じるのが通常で、その中でも うつ病が最も一般的かつ重大ですが、これだけが自殺の危険因子というわけではありません。... さらに読む のリスクは、健忘が突然回復してトラウマ的記憶に圧倒されることで高まる場合があります。
まれに、極端な解離性健忘を起こした人が突然家を飛び出し、一定期間を戻ってこない場合もあります。その間は、自分が誰なのか(自己同一性)など、それまでの人生の一部または全部を思い出すことができません。この状態は 解離性とん走 解離性とん走 解離性とん走では、過去の記憶の一部またはすべてを失い、通常は家族や仕事を残して普段の環境から姿を消してしまいます。(「とん走」とは「脱走」や「逃避」を意味します。) ( 解離症の概要と 解離性健忘も参照のこと。) 解離性とん走は、まれな解離性健忘の一種です。 解離性とん走の持続時間は、数時間の場合もあれば、数カ月間、ときにはさらに長期間にわたる場合もあります。とん走の期間が短いと、職場に遅刻したり、帰宅が遅くなったりしただけのように見え... さらに読む と呼ばれています。
解離性健忘の診断
医師による評価
ときに、考えられる他の原因の可能性を否定するための検査
解離性健忘の診断は、患者の症状に基づいて下されます。
普通は忘れることのない重要な個人的情報(通常は心的外傷[トラウマ]やストレスと関連している)を思い出すことができない。
その症状によって強い苦痛を感じているか、その症状のために社会的な状況や職場で役割を果たすことができない。
また、 認知症 認知症 認知症とは、記憶、思考、判断、学習能力などの精神機能が、ゆっくりと進行性に低下していく病気です。 典型的な症状は、記憶障害、言語や動作の障害、人格の変化、見当識障害、破壊的または不適切な行動などです。 症状が進行すると普段の生活が送れなくなり、他者に完全に依存するようになります。 診断は症状と身体診察および精神状態検査の結果に基づいて下されます。 原因を特定するために血液検査と画像検査が行われます。 さらに読む など健忘の神経学的な原因を否定するために身体診察も行います。
ときに健忘の他の原因を否定するために検査が必要になることもあります。検査には以下のものがあります。
脳腫瘍など、脳の構造的な病気の可能性を否定するための MRI MRI検査 MRI検査は、強い磁場と非常に周波数の高い電磁波を用いて極めて詳細な画像を描き出す検査です。X線を使用しないため、通常はとても安全です。( 画像検査の概要も参照のこと。) 患者が横になった可動式の台が装置の中を移動し、筒状の撮影装置の中に収まります。装置の内部は狭くなっていて、強い磁場が発生します。通常、体内の組織に含まれる陽子(原子の一部で正の電荷をもちます)は特定の配列をとっていませんが、MRI装置の中で発生するような強い磁場の中に... さらに読む または CT検査 CT検査 CT検査(以前はCAT検査とよばれていました)では、X線源とX線検出器が患者の周りを回転します。最近の装置では、X線検出器は4~64列あるいはそれ以上配置されていて、それらが体を通過したX線を記録します。検出器によって記録されたデータは、患者の全周の様々な角度からX線により計測されたものであり、直接見ることはできませんが、検出器からコンピュータに送信され、コンピュータが体の2次元の断面のような画像(スライス画像)に変換します。(CTとは... さらに読む
レクリエーショナルドラッグや違法薬物 レクリエーショナルドラッグと中毒性薬物 の使用などを否定するための毒性物質と薬物を調べる血液または尿検査
心理検査も行います。患者の解離体験の特徴をとらえて理解し、治療計画を立てるにあたっては、しばしば特殊な心理検査が役立ちます。
解離性健忘の予後(経過の見通し)
ときには記憶がすぐによみがえることもあり、患者がトラウマやストレスになった状況(戦闘など)から離れると、そうなる可能性が高くなります。一方で、健忘が長期間続くこともあり、特に解離性とん走を起こした人でその傾向がみられます。加齢とともに症状が軽減していくことがあります。
大半の人では、欠落した記憶と思われるものを取り戻し、健忘の原因になった心の葛藤の解決に至ります。しかし、なかには心の壁を突き破ることができず、失った過去を再構築できない人もいます。
解離性健忘の治療
支持的な環境
ときに記憶想起法(催眠など)
精神療法
支持的な環境
治療はまず、例えばさらなるトラウマ体験を避けられるように支援することで、患者に安心感と信頼感をもたせることから始まります。つらい出来事の記憶を取り戻さなければならない緊急の理由がなければ、このような支持的な治療だけで十分な場合もあります。その場合、欠落した記憶を徐々に思い出していきます。
記憶想起法
欠落した記憶が回復しない場合や、急いで記憶を取り戻す必要がある場合には、記憶想起法がしばしば効果を発揮します。記憶想起法には以下のものがあります。
催眠
薬物を利用した面接(バルビツール酸系薬剤やベンゾジアゼピン系薬剤などの鎮静薬を静脈内投与した上で行う面接)
催眠 催眠療法 催眠療法は 心身医学の手法の1つです。催眠療法(催眠)では、リラックスと注意力がより高まった状態へと誘導されます。催眠下にある患者は、催眠療法士が示すイメージに没頭し、疑念を感じなくなります。注意力を一点に集中したり、指示が耳に入りやすい人は、催眠療法を行動を変える助けとして用いることができ、これに伴い、健康状態が改善される可能性があります。( 統合、補完、代替医療の概要も参照のこと。)... さらに読む と薬物を利用した面接は、記憶の空白期間に関わる患者の不安を軽減するとともに、苦痛に満ちた経験や葛藤を思い出さないようにするために、患者が心の中に築いた壁を突き崩したり、迂回したりするのに役立ちます。
ただし、医師は患者に思い出させる内容を示唆したり(その結果、間違った記憶を作り出す可能性があります)、極度の不安を引き起こしたりしないように注意します。失われた記憶を刺激するトラウマになった状況を思い出そうとすることは、しばしば極度の感情の乱れにつながります。
さらに、この方法で再生された記憶は正確でないこともあるため、他者や情報源による確認も必要になります。そのため、催眠または薬物を利用した面接に先立ち、医師は患者に対しこれらの方法で再生された記憶が正確でない場合もあるということを告げ、その上で治療の同意を得ます。
また、医師は解離性健忘の人に自分が助けになりたいと思っていることを伝えて、安心させようとします。過去 (特に小児期)に虐待を受けていた人 小児に対するネグレクトと虐待の概要 小児虐待には、小児に対して危害が及ぶか危害が及ぶ可能性がある、あるいは危害を示唆する脅しがある状況など、親、養育者、またはそれ以外の後見人(例、聖職者、コーチ、教師)による18歳未満の小児に対するあらゆる種類の虐待およびネグレクトが含まれます。小児に対するネグレクトとは、小児の身体的、情緒的な基本的ニーズを満たそうとしないことをいいます。... さらに読む は、ときに医師や心理療法士に対して疑いの念をもち、彼らが自分を搾取ないし虐待したり、本当の記憶を思い出す手助けをするのではなく不快な記憶を植え付けようとしたりすると考えることがあります。
記憶の空白期間をできるだけ埋めることが、その人の自己同一性や自己認識に連続性を取り戻すのに役立ちます。
精神療法
健忘が解消された後に続けて 精神療法 精神療法(心理療法) 精神障害の治療は大きな進歩を遂げています。その結果、多くの精神障害に関する治療成績が身体的な病気に近い水準まで向上してきています。 精神障害に対する治療法の大半は、以下のいずれかに分類できます。 身体的な治療法 精神療法(心理療法) 身体的な治療法としては、薬物療法と電気けいれん療法のほか、脳を刺激する治療法(経頭蓋磁気刺激療法や迷走神経刺激療法など)などがあります。 さらに読む を行うことが、患者が以下のことを行うのに役立ちます。
この病気の原因になったトラウマや葛藤について理解する
それらを解決する方法を見出す
可能であれば将来のトラウマ体験を回避する
自分の人生を歩んでいく